PressRoom.jpプレスルーム引継帳の余白08313

花粉症と肥料

引継帳の余白~全国紙デスクの日々

08.3.13

 すっかり春めいてきて、心弾む季節になった。でも、花粉症の人には、1年でいちばん憂鬱な季節かもしれない。

 「体内に寄生虫がいると、花粉症にならない」という説がある。花粉を吸うと、体内にIgE抗体というタンパク質ができ、これが花粉とくっついて反応する。その結果生まれた物質が、くしゃみや鼻水を引き起こす犯人といわれる。もともと、この抗体は寄生虫退治が役目で、体内に寄生虫がいると本来の役目を果たす。仕事がなくなったから、暴走してしまったらしい。ある程度、説を裏付ける実験結果もあるそうだ。

 もちろん反論もある。また、花粉症を発症してしまった人が寄生虫を体内に「飼って」も、すでに手遅れらしい。ただ、花粉症対策で「じゃあ、寄生虫を飼うか」と思い切れる人も、少ないだろうなあ。少なくとも、私は嫌だ。

 この花粉症、日本では意外と新しい存在だ。スギ花粉症の最初の報告例は1960年代だとか。その後激増していく。その背景には、日本人が清潔になり過ぎたことがある。それは農業用肥料として人糞が使われなくなった理由が大きい。肥料に使われた下肥(しもごえ)を介して寄生虫が農作物につき、それがまた広まっていったのだから。

 小説家、徳富蘆花は明治40(1907)年、田園生活にあこがれ、東京府北多摩群千歳村粕谷に移り住む。現在の世田谷区粕谷にある蘆花公園は、その旧宅を中心に一帯を整備したものだ。当時、周辺は武蔵野の農村地帯。蘆花の「みみずのたわこと」(岩波文庫)は、そこでの暮らしをつづったエッセーである。

 いささか尾籠(びろう)な話で恐縮だが、「みみずのたわこと」によると、そのころの甲州街道は、多摩地区の農村地帯から東京市街に肥料用の下肥をくみ取りにいく大八車の列がなしていたという。あまりの重労働で体を悪くする農民も少なくない、と蘆花は同情を込めて書いている。今、自動車であふれかえっている甲州街道(国道20号)の100年前の姿である。

 もう一つ。こちらは手元に資料がないので社名は伏せるが、関東の某私鉄の黄色い車両は「農業用に下肥を運んだ名残だ。汚れが目立たないから」という説がある。その会社のサイトにもそんなことは書いてなくて(当たり前か)、裏がとれないのだが、確かに、この鉄道会社には農業鉄道の時代がある。前述の蘆花の話をふまえれば、鉄道が開通したとき、農民たちの喜びはいかほどだったか、容易に想像できる。

 どうも、今回は話が脱線気味だが……。まあ、農耕民族としての日本人は実に長い間、肥料を下肥に頼ってきたわけだ。農村でも「肥だめ」を見なくなったのは、ほんの数十年前のことである。花粉症は、変化の速さに追いつけない人間の体の悲鳴かもしれない。

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引継帳の余白~全国紙デスクの日々 記事リスト

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足腰は弱り体力も落ちたけど相変わらず青臭いこと言っている。そんなオヤジ記者の日常報告。考えるきっかけを提供できれば。 [全国紙デスク]

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