PressRoom.jpプレスルーム引継帳の余白080401

石原都知事の責任

引継帳の余白~全国紙デスクの日々

08.4.1

 かつて日本興業銀行は「産業金融の雄」と呼ばれ、企業調査の綿密さで定評があった。業界の動向、企業の将来性、販売先はもちろん、「次の社長は誰か」まで調べ上げたそうだ。

 その興銀にしても、バブルのころの東洋信金事件では、料亭の女将の言うことを信じ、大きな損失を出した。ある興銀OBが「消費者金融や不動産金融など経験が浅い分野だったのに、『いちばん難しい産業金融をやってきたのだから、簡単だ』という思いこみがあったのではないか」と嘆いていたのを思い出す。

 金融業とは、かくも難しい。1000億円の資本金を開業3年で食いつぶした新銀行東京の幹部たちに、ぜひともOB氏の嘆きを聞かせたかった。もう遅いけど……。今になって、あまりにもいい加減な融資姿勢が露呈し、旧経営陣の責任問題になっているが、やはり最大の責任者は石原慎太郎・都知事だろう。

 銀行の貸し渋りに苦しむ中小企業を救う、という目的は間違ってはいなかったと思う。しかし、完全にタイミングを誤った。新銀行東京が開業した時点で、貸し渋りはすでに下火になっていたのだから。そこに目をつぶり、傷口を広げた責任は大きい。

 にもかかわらず、石原都知事の開き直り方はすごい。「世論調査を気にしていたら政治はできない」。あれだけ都議会でもめて、やっと400億円の追加出資が決まった直後である。さすがに都民の一人として腹が立った。石原さんを支持してきた人たちの間でも、失望感が広がっているようだ。

 ジャーナリストの斎藤貴男氏の著書「空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(筑摩書房)に、02年、かつて自民党「青嵐会」の同志だった中山正暉代議士から名誉棄損で訴えられた話が登場する。同書によると、石原都知事が新聞に書いたコラムに中山氏が腹を立て、抗議しようとしたのに、石原氏は面会を避けるばかりだったという。

 こわもての顔の裏で、石原都知事の弱さを感じさせるエピソードである。

 19世紀末のフランスにブーランジェという将軍がいた。1886年に陸軍大臣に就任すると、共和制支持層に迎合して、労働争議の際、わざわざ共和制擁護の議会演説をして、「共和的将軍」と喝采を受けた。翌年、ドイツとの関係が緊張すると、対独強硬論を唱え、今度は「ビスマルクをしりごみさせた男」などと、右翼勢力の偶像となった。人気を背景に一時はブーランジェを首班とするクーデーター計画も練られたが、土壇場になって本人が弱気になり、愛人とベルギーに亡命してしまった。亡命先で愛人が病死した後、後追い自殺してしまった。なんとも、しまらない御仁である。

 石原さん。巨額の税金を使う以上、新銀行東京から「逃亡」なんてしないでくださいよ。

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引継帳の余白~全国紙デスクの日々 記事リスト

2008年

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第3次石油危機(08.6.20)
成長の限界(08.6.13)
顔(08.4.22)
2人の首相(08.4.14)
石原都知事の責任(08.4.1)
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取り付け騒ぎの記憶(08.1.25)
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足腰は弱り体力も落ちたけど相変わらず青臭いこと言っている。そんなオヤジ記者の日常報告。考えるきっかけを提供できれば。 [全国紙デスク]

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