PressRoom.jpプレスルーム引継帳の余白080414

2人の首相

引継帳の余白~全国紙デスクの日々

08.4.14

 旧首相官邸は不思議な空間だった。

 1929(昭和4)年に完成し、2002年に新官邸に役目を譲るまで、70年以上も使われた。昭和初期のライト様式の建築は「歴史の舞台」にふさわしい重厚さがあったが、いかんせん古くて手狭な感は否めなかった。

 政局が動くと、その狭い官邸の廊下を数十人もの記者が埋め尽くす。感覚でいうと、休日の渋谷駅前なみの混雑に近い。でも、記者が首相執務室の前まで出入りできたのだから、まあ、「透明性が高かった」と賞賛していいかもしれない。今の官邸に移ると、広くなったのに取材場所はぐっと制限されてしまった。

 小泉純一郎首相が就任して、まもないある日。私は官邸での会議を取材するため、官邸に足を踏み入れた。顔見知りの政府高官をつかまえ、会議の様子を聞こうと廊下に立っていたのだが、会議終了とともに退出者の流れに記者が加わり、私は隅の方へ押しやられた。

 すると、背中に誰かがぶつかった。「ごめんなさい!」と振り返ると、そこに立っていたのは小泉首相その人だった。小泉さんが日々の記者会見に応じていたのは、廊下のこの場所だったのだ。官邸記者クラブ常駐の記者とは違い、間近で小泉さんを見たのは初めてだった。

 ちょっと、がっかりした。

 意外なほど華奢で、背もそれほど高くない。街中で見れば、ただのおじさんだろう。当時、80%もの支持率を誇っていた首相に、カリスマ性は全然感じなかった。こんなことを今でも覚えている私は、けっこうミーハーかもしれないが……。

 ところが、テレビを通して見る小泉さんは非常に強い印象があった。実物以上に大きく見えるというか。目をあまり動かさず、短くて印象的な言葉を語った。2005年の郵政解散の時、「この程度の改革ができないで、どんな改革もできない!」と叫ぶ姿は今でも脳裏に焼き付いている。

 小泉さんの話を持ち出したのは、もう一人の首相経験者の思い出を書きたいためである。2007年に死去した宮沢喜一さんだ。

 首相退任後、宮沢さんは時の小渕恵三首相に要請され、蔵相に就く。「平成の高橋是清」などと呼ばれたものだ。当時、私は大蔵省での宮沢さんの記者会見に出席したことがある。その記者会見で、何か答えたくない様子の質問が出て、宮沢さんは「知りませんな」と、プイッと横を向いてしまった。ちなみに宮沢さんは、小泉さんもよりも小柄な、おじいさんである。ところが、不機嫌そうな顔をした時の迫力たるや、大変なものだった。質問した記者も、貫禄負けして黙ってしまった。

 皮肉なものだが、その宮沢さんは首相時代の1993年、テレビ番組で「政治改革をやる」と断言したのに、結局、実現できず、公約違反を攻撃され、総選挙で大敗。自民党は結党以来初めて、野党に転がり落ちた。

 テレビを存分に活用した首相と、テレビに負けた首相。ただの政治スタイルの違いを超えて、2人の首相の溝は大きい気がする。

LinkIcon顔(08.4.22)

LinkIcon石原都知事の責任(08.4.1)

引継帳の余白~全国紙デスクの日々 記事リスト

2008年

国際会議(08.8.12)
第3次石油危機(08.6.20)
成長の限界(08.6.13)
顔(08.4.22)
2人の首相(08.4.14)
石原都知事の責任(08.4.1)
花粉症と肥料(08.3.13)
橋下はん、性根見せなはれ(08.3.5)
私には夢がある(08.2.25)
芭蕉は隠密だった?(08.2.14)
中国の闇(08.2.7)
取り付け騒ぎの記憶(08.1.25)
デカ部屋(08.1.15)
政治家の病気(08.1.1)

足腰は弱り体力も落ちたけど相変わらず青臭いこと言っている。そんなオヤジ記者の日常報告。考えるきっかけを提供できれば。 [全国紙デスク]

サイト内検索

協賛サイト