[健康=メタボの行き着く先](50)2011年3月11日からの人工透析クリニック

2011年3月11日は、日本人にとって忘れられない日になってしまいました。東日本大震災が起こり、予想を超える大津波が沿岸の陸地を洗った日として。

当時の自分の記録を読んでいたのですが、前日の3月10日、校了作業で明け方まで仕事をしている途中、何度も三陸沖の大きな地震があったことが記されていました。大地震の予兆では? と心配していたところ、翌日本当になってしまったのです。実は3月10日、何が原因だったか忘れてしまったのですが、同居する母が入院し、校了も控えた自分はパニック状態でした。

そして3月11日。近くに住む妹が母の見舞いがてら家に来ていた時、長い大地震がやってきました。以下、当時の記録から引用します。

◇当時の記録からの引用◇

はじめは「でかいね」「長いね」とか言っていたのですが、普通なら収まるはずが、揺れが加速していく! 気がつけば回りもゴウゴウいってるじゃないですか。そしてつけていたテレビも消えて停電!

と書いている今(注:3月15日)、静岡県東部で震度6。おいおい富士山の近くじゃねえかよ。

まあ、それはいいとして、これはヤバイ、と外に出たら車は上下に揺れるわ、建っているものは全部グラグラだわ、地面も波打つアトラクションのようだわで、気付くと近所の人も皆、出ていました。そんなところをさらに余震。

うちの前は広い畑なので、多少地割れしても液状化しても、自宅が目の前で崩壊しても、いくらでも逃げ場があります。津波も、海からはいくつかの高台を超えなくてはいけないので、まず心配はないという場所ですが、それでも「これは震源地では相当な被害が出ているに違いない」と思ったのは確か。

家の中に戻ってみると、花瓶などが一部落ちて割れていました。仏壇も位牌やら飾りがひっくり返り……。食器棚は意外に大丈夫でしたが、中でいくつか倒れて割れていました。本棚は意外とたいしたことがなかったのですが、驚いたのは寝室のテレビ。29型のクソ重いブラウン管型が落下していました=写真下。

まあ、家の中の被害はそんなもので、余震がひどいので、落ちていなかった飾り物を下ろしてことなきを得ました。後からいろんな人に話を聞くと、うちはまだマシだった模様。東京のほうが揺れがすごかったのか。

しかし……、停電が復活しません。うちは井戸水くみ上げなので、停電すると水も自動的に出なくなります。幸い風呂水は捨てていなかったし、飲料水もストックがあったので、2日は余裕。しかし問題は、その日が校了前というタイミングだったこと。

原稿チェックの戻り、校正の戻しなどがまだ残っている。しかし、でかい地震でそれどころではなくなってしまった。ケータイでネットをチェックすると、ことの深刻さが分かる。10mの津波!? 千葉でもガスタンク爆発だと!?

ケータイのバッテリーも危うくなったので、充電がてら夜のドライブへ。懐中電灯の電池も買いに出かけると、惣菜関係と水が見事に売り切れ。24時間のディスカウントストアは停電エリア外だったので、そこそこ人がいた。帰りに飯を食おうと「サイゼリヤ」に寄ると、会社の愚痴を普通に言う彼女の話を聞いてる彼氏とか、どうでもいいことをしゃべっている女2人とか、見事なまでに日常のファミレスな光景。なんだ、このギャップ? やはり震源地から遠いのだなぁ。

自宅に向かうと、途中からまったく明かりがなくなる。停電は結局、翌日の昼過ぎまで続いた。そんな状況だけど、仕事の返信が続々返ってくるのには驚いた(ケータイでメールが受信できた)。現場、スゴイ!

ちなみに、翌3月12日が人工透析の日だったのだが、これが停電の余波で中止。クリニックも電話がつながらなくて連絡ができず、駐車場で待って断る始末。結局、3月13日に時間を短縮して3時間。その次の日の3月14日もまだ例の計画停電の予定があったので3時間。少し毒が抜け切れていないなあ……。

そうでなくてもこのところ抜け切れていないので「このままだとあと2、3年の間に脳か心臓が梗塞するかもよ」と言われている。うん、まあ、透析は導入時から平均余命が5年なのも知っているし、自分でもこれは5年以上とか無理、と思うので。

◇引用ここまで◇

停電から回復してメディアで状況を把握しようとすると、衝撃映像の洪水。インタネットにも地元住民の映像が上がっていて、把握するだけでだいぶ時間を費やしてしまいます。

ショックだったのは、予定より1日遅れになった昼の時間短縮透析時にテレビに映し出されていた福島第1原発が、キノコ雲のようなものをあげて吹き飛んだ瞬間を生映像で目撃してしまったことです。ここからSNSには放射能情報が無限に増殖していき、正直なところ透析とかしてる場合じゃないんじゃね? と思えるほどでした。

実は父の実家がこの放射能の影響で封鎖されてしまい、現地にいた親戚なども含めて全員避難を余儀なくされてしまったようです。父は既に亡くなっていたのでこの事実を知らずに済んだわけですが、数年前に何となく思い立って家族で実家の先祖の墓参りにクルマで行ったことを思い出しました。今はもう街も復興していますが、親戚の家はいまだに立入禁止エリアです。

ちなみに地震時のクリニックは、透析器を看護師さん、技師さんが体を張って押さえていたそうです。それほど激しかったようですが、そこそこ重さがあるのと、震源から距離があったので、ひっくり返らずに済んだようです。また、補助電源でその時に透析していた人はことなきを得たとか。とはいえ、ケータイの緊急地震速報のアラームも鳴りまくるし、気が気ではなかったことでしょう。

さて、離れて元ヨメと住んでいる息子も気になります。安否が確認できたのは3月12日、元ヨメのケータイがようやくつながってからでした。3月11日は元ヨメも、その新しい夫も帰宅できず、学校に取り残された息子は、新しい夫(息子にとっては新しい父親)の父が大渋滞の中クルマで迎えにいったとか。息子は学校に残っていた中で最後でした。3月11日当日は帰宅難民も多かったので、同じような経験をした人もいると思います。

そして余震はいまだ続き、東南海大地震や東京直下、房総沖、釧路沖、そして富士山大噴火などもささやかれています。どれにしても、透析患者の命は短くなることは確実でしょう。(U)=雑誌・ウェブ編集者、50歳代後半

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